【インタビュー/私の道】
パチスロコンサルの祖、誕生の裏には激動人生
|株式会社エスサポート 三木貴史社長

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PROFILE●みき・たかし
1972年生まれ。大学卒業後、神奈川県のパチスロ専門店に就職。その後、グループ4店舗の統括部長として現場を指揮する傍ら、他店舗のコンサルティングにも携わる。2007年に独立し、エスサポートを設立。セミナーはもちろん、毎日更新がウリのWEBサイト「エスサポートスロット研究所」が好評を博している。

パチスロコンサルの祖として、今なお最前線で活躍する㈱エスサポートの三木貴史代表取締役。数多のホールから支持されるその卓越したノウハウは、どのように蓄積・形成されていったのか。

困窮していた学生時代、稼ぎたい一心でスロ専へ

決して裕福とは言えない家庭だったこともあり、大学生時代から稼ぎたいという欲求が大きかった。

「大学生の時は、平日は新宿の飲み屋、週末はディズニーランドでバイトしていました。ディズニーランドで配属されたのは、まさかのクレープ屋(笑)。スタッフは女性50人、男性3人と花園状態でしたね」。

バイトに明け暮れる中、就職活動に目を向けると世間は就職氷河期真っ只中。例に漏れず苦労した。気晴らしがてら、足繁く通っていたパチスロ専門店に行き、当時ハマっていた4号機の『クランキーコンドル』に興じている時、ふと考えを巡らせた。

“ホールの運営側に回れば稼げるのではないか”――。

そんな想いを抱きはじめた矢先、運命的な出会いを果たす。神奈川県川崎市でパチスロ専門店の店長をしていた、スロキチこと斉藤好一氏だ。

「自分のスロ専を持つことを目標に、まずはパチスロの技術を学ぶため、住み込みで働かせてもらうことにしました」。

パチスロコンサル・三木貴史としての第一歩を踏み出した瞬間だった。

順風満帆から一転の借金地獄…師の恩情に粉骨砕身

大学在学中、すぐさま川崎へ移動。41台と60台の2店舗を掛け持ちしながら、設定運用を含めたホール業務全般に従事し、ホール営業や設定運用のノウハウを養っていった。そんな折、ふと父親が中国で行っていた事業が魅力的に映った。

「父親は中国・深圳で持ち運びできるプリクラ機を販売していました。スロ専での仕事は楽しかったですが、毎日同じことの繰り返しで、飽きてしまっていた部分もありました。その反動からか、海外に行ってみたい衝動に駆られましたね。隣の芝が青く見えたというやつです」。

こうしてスロ専での仕事を辞め、父親の事業を手伝うことを決断。中国へ飛んだが、もとより事業は上手くいっておらず、1年半ほどして程なく事業破綻に追い込まれ、多額の借金を抱え逃げるように日本へ帰国した。

「帰国後、借金を何とか返していかなければなりませんから、自分から辞めていった手前、自分勝手も甚だしいとおもいましたが、斉藤さんを頼りました」。

頭を下げ、また一から始めさせてもらいたいと直談判した。丁度その時、東京都東高円寺でスロ専の出店を控えていたことから、以前の頑張りを認めてもらい復職。同店の創業メンバーとして、文字通り寝ずに死に物狂いで働き、稼働15,000枚の超優良店をつくりあげた。

同店が軌道に乗ると、千葉・新松戸にも新店をオープン。その後、2001年には東高円寺、新松戸、川崎大師、浅田のグループ4店舗を統括する部長に昇進し、陣頭指揮を執った。また、在職中から他店舗のコンサルティングにも携わり、全ての店舗で平均稼働15,000枚を継続。コンサルタントとしての腕も磨き、実績を積み重ねていった。

そしてこの頃には親の借金も全額返済。そのタイミングで独立を決意し、同じ職場で切磋琢磨してきた仲間と2人で2007年4月、エスサポートを設立した。

2010年6月、東高円寺に念願だったスロ専《SLOT GORO》をオープン。コンサルとしてのノウハウを営業に落とし込み、連日高稼働を誇った。

ノウハウを惜しみなく提供、パチスロコンサル第一人者へ

前途洋々で起業したが、当時は5号機初頭の時期と重なり稼働はボロボロ…。コンサルティングの仕事は全くと言っていいほどなく、退職金を食い潰す毎日が続いた。弱音も吐いたが、仲間から一喝され改心。弊誌「月刊グリーンべると」に声を掛け6回限定の記事を掲載した(現在、連載回数180回・16年超の最長連載記録更新中)。これが大きな反響となり、徐々にセミナーの依頼も舞い込んでくるようになった。

2010年には東高円寺に81台のスロ専《SLOT GORO》を出店。セミナーで全国に赴く傍ら、念願だったスロ専のオーナーとしてホール経営にも力を注いだ。営業は順調だったが、2011年に発生した東日本大震災で稼働が激減。その後も営業は続けるも、旧規則機の撤去が控えるなど、回復の見込みがないことから、2017年7月末に閉店。コンサル1本での再スタートを切った。

しかし、完全6号機時代に突入し、パチスロ営業の不振が続くなど、これまた依頼が激減。追い打ちをかけるようにコロナ禍も直撃した。打開策となったのが、2017年に立ち上げたWEBサイト『エスサポート スロット研究所』だった。

「コンサルはジリ貧になると思っていたので、リスクヘッジのつもりで『エスサポート スロット研究所』を立ち上げました。これまで培ってきたノウハウや、コンサルならではの情報を収集・蓄積して、それを提供していくことで、パチスロ営業を少しでも良くしていきたいと考えました」。

そんな三木社長が今後目指すものとは。

「コンサルティングを始めた当初から一貫しているのが、“人を集める店ではなく、人が集まる店づくり”の手助けをしていくことです。うわべの集客でなく、本質で集客できるよう、これからもパチスロ営業に関する情報・ノウハウを提供していきます」。

他にも、業界有志が集う勉強会にも積極的に参画し、業界を良くするために奔走する三木社長。パチスロコンサルの祖として、今後も業界でその手腕を発揮していく。

2017年に立ち上げたWEBサイト『エスサポートスロット研究所』。パチスロ営業に役立つコンテンツが凝縮されており、会員ホールからの評価も高い。会員ホールの退会は廃業ホールを除いて1店舗たりともない。


株式会社エスサポート
本社/東京都台東区東上野3-15-2
第2国際ビル2F
【設立】2007年4月
【事業内容】
パチンコ・パチスロホールの総合コンサルティング
WEBサイト
「エスサポートスロット研究所」の運営
【URL】https://www.slot-labo.com/

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