《楽園渋谷駅前店》の新規出店で業界関係者から大きな注目を集めた渋谷エリア。都内屈指の繁華街ということもあり過去、多くのホールが存在していたものの現在、生き残ったのは大手2社のみという形に変貌している。激戦であり激動でもあった渋谷エリアの歴史を振り返るとともに、現状を分析した(文=島田雄一郎 ㈱遊技産業未来研究所 取締役副社長)。
新宿や池袋と並び、東京を代表する繁華街の一つとなる渋谷。JR渋谷駅を中心とした地域の総称であり、周辺の道玄坂、宇田川町、センター街あたりが渋谷エリアに含まれる。
渋谷駅はJRのほか東急、京王、地下鉄といった複数の路線が乗り入れ、1日平均の乗降客数は約330万人。新宿につぐ世界2位のターミナル駅として日々、多くの人が行き交う。
渋谷が若者の街と呼ばれる所以は、渋谷パルコ、109など多くのファッションビルが存在するからだ。ここ数年は10月末に多くの仮装をした若者がスクランブル交差点に集まるハロウィンの聖地としても有名になった。また若者が多い街には若い企業も多く、数多くのIT企業が集積し「ビットバレー」とも呼ばれている。
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「若者の街」以前の渋谷
ただし、昔から渋谷が若者の街かと言うと決してそうではない。過去、若者の街の代表格といえば新宿だった。しかし1973年、渋谷パルコの出店以降、多くの若者が集まり、若者の街の象徴が新宿から渋谷に移ったのだ。
渋谷エリアは中心地となるJR渋谷駅から放射状に伸びる通り沿いに店舗が展開され、この形状が大型の商業施設を作らせることを拒み続けた。若者の街と呼ばれる以前の渋谷には、低層の建物が並び、サラリーマンが夜な夜な立ち寄るような赤ちょうちん系の居酒屋も多く存在。その後、若者中心の街へと変貌する途上においては、幅広い層の人々が行き交っていた。そして、このような街並みにはパチンコホールが実によく似合っていたのだ。
そのため過去の渋谷エリアには数多くの小型ホールが展開。渋谷駅からJRの線路に沿って新宿方面へ向かう場所には、《キング》《アルファ》といった小型店舗が存在していた。
現在、マークシティとして生まれ変わった京王・井の頭線の渋谷駅周辺や道玄坂地区も、今では大型ホールがいくつか見られるところへと変貌しているが、当時から存在する《エスパス日拓》以外にも、《柳小路》《大番》《ホワイトバード》《キャット》といった店舗が存在していた。
またセンター街を有する宇田川町には《エルニド》《サン》《白鳥》といったホールがあった。これらの小型店が最も盛り上がっていたのは、パチスロ4号機時代の頃だったと記憶する。
渋谷のパチンコを変えたマルハン
《マルハン渋谷店》が宇田川町に登場したのが平成7年(1995年)7月7日のことだ。
同店が渋谷エリアの歴史に大きな影響を与えたのが言うまでもなく、オープン当時、ホール業界全体にも大きな衝撃を与えたことで知られる。
繁華街の中に多層階で大型店舗という当時は見かけない店舗様式に加えて、店員と言えばパンチパーマという認識が残っていたなか、明るく礼儀正しい接客スタッフは業界の在り方を変えたといっても過言ではない。
加えて比較的、余裕のある空間に出玉を見せる営業も都心部においては斬新で、当時の出玉性能の高いパチンコ機とともに、同店登場以降の渋谷エリアは一気に活気づくことになる。
同店の登場に最も触発されたのは、道玄坂に店舗を展開していたエスパス日拓だろう。今でこそ大型店を展開する同社だが、当時は小型店が多かった。現在の《エスパス日拓渋谷駅前新館》も、《エスパス日拓渋谷3号店》と《スロットクラブエスパス2号店》を統合した店舗である。この頃から、同社系列の店舗は、道玄坂地区の店舗を購入および統合、そして増床するという方式で大型化を続ける。
また1996年、出玉性能の高さ等で大人気となった『CR大工の源さん』が登場した。当時、エスパス日拓店舗のガラス越しにドル箱のタワーが構築されるのを見物する人が、渋谷の風物詩となっていた。出玉の総量と連動していたかは定かではないが、出玉状況を表すパトランプが店舗の軒に飾られており、ファンの心を鷲掴みにした。
マルハン、エスパス日拓を中心に渋谷エリアが活気づくなか、登場したのが《ガイア渋谷店》である。《柳小路2》から変わって増床グランドオープンを行ったのが2000年のことだ。
しかし1998年以降、「パチンコ暗黒の時代」が訪れ、確変突入率50%の1回ループかつ、5回リミッター搭載機が主流の時代となる。「社会的不適合機」の撤去もあってパチンコの人気が急激に落ちたが、それに代わって人気となったのがパチスロである。
1998年にCT機が登場して以降、出玉性能の上昇も相まって急激にパチスロが人気を高めていく。多くのホールがパチスロ中心の営業に切り替え、《ガイア渋谷店》も2001年に増床。パチンコ、パチスロともに増台を行い1000台を超える店舗となった。
小型店もパチスロ人気で活気づき、センター街にあった《BBステーション》《エルニド》といったホールにも連日、パチスロ4号機の出玉を求めてファンが多く集まった。
パチスロ人気、5号機で終息
しかし、パチスロ人気も終焉を迎えることになる。5号機時代の到来だ。また4号機の撤去とともに、この時代、脚光を浴びたのが1円等の低貸し玉営業である。
渋谷といえば東京の中でも一等地であり、当然のように地代家賃が高い。4号機のような爆発的に売上の高い機械があれば、少ない面積での経営も可能だが、5号機ショックに加え、パチンコの主流が1円となっていく時代において、小型店の継続が困難となっていくのは必然であった。
その結果、宇田川町からは《ガイア渋谷2》《アレック》《BBステーション》という店舗が姿を消した。また2009年には道玄坂の《コンサートホール渋谷》が閉店した。
それ以前は、パチンコもしくはパチスロのどちらかが支える業界様式であったが、どちらも厳しいという時代に突入した2007年以降、店舗営業による収益よりも、撤退もしくは転貸の選択を行ったほうが収益が残ると判断した店舗が相次いだ。
大手中心の時代へ
閉店が続いた渋谷エリアだが、久しぶりに新規店舗の誕生となったのが2011年。東日本大震災の影響が色濃いタイミングだったと記憶しているが、震災2ヶ月後の5月11日、パチンコ505台、パチスロ299台、計804台で《楽園渋谷道玄坂店》がオープン。これにより楽園、エスパス日拓、マルハンという重量級による3つ巴の戦いが始まることになった。
1円パチンコの出現で人気が下げ止まりした感があった業界だが、広告宣伝規制、一物一価などの問題がホールの勢いを格段に削ぐことになる。それ以前であれば、大手3企業のぶつかり合いが過激化し、渋谷に多くのファンが集まることになったのだろうが、その時代背景ゆえに盛り上がりに欠けてしまった。
そして2016年1月、《マルハン渋谷店》が撤退。これは渋谷におけるパチンコの勢い低下を表すだけでなく、業界全体の勢い低下の象徴でもあった。
ガイアの跡地に楽園
過去、多くのホールが存在した渋谷エリアだが、《マルハン渋谷店》の撤退以降、ホールが存在するのは駅前のマークシティ周辺に位置する《楽園道玄坂店》、エスパス日拓×3店舗、《ガイア渋谷店》だけとなった。
その状況も2019年に入ると、さらに変化した。《ガイア渋谷店》の撤退である。そして、撤退したホールの跡地には別業態が入るのが当然だった渋谷において、久しぶりに別のホールが出店することになる。これが今年7月、オープンした《楽園渋谷駅前店》だ。
渋谷駅前のマークシティ周辺がエスパス日拓一色となっている昨今において、エスパス日拓の店舗を通り越さないと辿り付けない《楽園渋谷道玄坂店》では不利ということも、楽園が出店を決定した要因と考えられる。
《楽園渋谷駅前店》は、パチンコ550台、パチスロ450台の計1000台ジャストの台数規模となり、《ガイア渋谷店》と同様、地下1階から4階までの5層店舗(地下1階~2階をパチンコ、3~4階をパチスロで構成)だ。
多層階店舗のためワンフロアのスペースは限られており、1階の賞品交換カウンタースペースもさほど広くはない。1000台保有の高稼働状況でも賞品交換がスムーズに行くよう、各フロアに無人の賞品交換カウンターが用意されている点が特徴だ。無人の賞品カウンターは会員専用ではあるが、各フロアの賞品交換がこれで済めば1階にさほど並ぶこともないだろう。
渋谷が与える周辺エリアへの影響
渋谷駅前での楽園、エスパス日拓のぶつかり合いは、業界内でも《楽園渋谷駅前店》のオープン前から話題となっていた。もちろんファンの間でも早い段階から話題となっており、オープンと同時に多くのファンが渋谷に集まることが想定された。
もちろん新店である《楽園渋谷駅前店》への来店だけでなく、それに対抗するであろうエスパス日拓店舗への来店、また楽園であれば既存店も守るはずであるという推測のもと、既存の《楽園渋谷道玄坂店》への来店を考える層も存在していたのである。
こういったファンは渋谷近隣に住んでいる層ではなく、話題のある店舗、つまり勝ちやすい店舗を求めて移動する情報強者の層である。渋谷にこういった層が集まったのであれば、近隣の繁華街の客数が減少したのかもしれない。そこで昨年および今年6月と7月の客数推移について、渋谷を含めて都内人気エリア別に見てみた(下表参照)。
7月の渋谷エリアは、《楽園渋谷駅前店》が7月1日に開店したことで今年6月比で158%と大幅に客数が増えた。一方、都内屈指の集客力の高さで知られる秋葉原エリアは、昨年7月の場合、6月比で客数を落とす結果だったが、今年は115%と微増。また、その他のエリアも今年6月比の7月の客数は昨年を上回る上昇率を見せた。
ただしこれはある意味、当然の結果でもある。今年6月と7月ではコロナ禍の影響が異なるからだ。
そのため、数値を見た限りでの判断は極めて難しい。しかし、1つ言えるのは渋谷エリアにおける集客力が高まったぶん、他の都内エリアが大きな犠牲を払ったわけではないということ。つまり他の都内エリアだけでなく、さらに他の商圏に存在するファン、特に最近では他府県からもグランドオープンを狙う層が存在することから、想像以上に広い範囲からファンが集まり、渋谷エリアを盛り上げていると考えられる。
今後の渋谷エリア
資本力のある大手2社だけになってしまった渋谷エリア。今後、同業他社が介入してくる余地はあるだろうか。
コロナ禍で撤退を余儀なくされた飲食店や商店の跡地がテナントとして出てくることは想像に難くない。また最近では、敢えて激戦区への出店を好むホールオーナーも存在する。営業力の高い競合店にファンが集まり、自店はそこから集客を狙えば良いとの考えだ。
そのため、渋谷エリアに新規出店を考えるホール企業が存在してもおかしくはないのだが、ファンの減少を含む業界環境は一段と厳しさを増している。
また、競合ホールとの戦いにおいて、台数規模で凌駕することが得意パターンの楽園だが、渋谷エリアでは現在、2店舗合わせて1884台。対するエスパス日拓は3店舗合計で2177台と、台数規模では楽園が劣っている。渋谷駅前立地を抑えた楽園が、エリア全体の台数規模で劣っているからといって簡単に引き下がるとは思えない。この競合関係はしばらく続くだろう。
資本力のある大手ホール企業同士のぶつかり合いで最も影響を受けるのは、近隣の中小規模のホールだ。このことを深く理解している業界人も多いだけに、やはり渋谷エリアへの出店を考える同業他社は少ないのではなかろうか。
渋谷エリアはここ数年、若者中心の街から少しずつ変貌を遂げている。2012年の渋谷ヒカリエ完成以降、渋谷ストリームや渋谷スクランブルスクエアといったオフィスを併設するような複合施設が次々と誕生。高層ビル化とともにオフィス機能の強化が進んだ。若者の街からオフィス街へと変貌をみせようとしている渋谷エリアだが、多くの人が集まる繁華街であることには変わりはない。
今後、渋谷に集まる人の数は、若年層だけでなく上の世代もさらに増えていくだろう。しかし、遊技機の出玉性能の現状から考えても遊技を止めた層が戻ってくることはないだろう。現在、《楽園渋谷駅前店》の出店にエスパス日拓が反応したことで一時的に盛り上がりを見せている渋谷エリアだが、パチンコ商圏としての渋谷エリアが、かつての輝きを取り戻すことは残念ながら望み薄と言わざるを得ない。