【インタビュー】東日本大震災から10年、被災地の現状や今後の課題/宮城県遊協・竹田理事長

投稿日:2021年3月11日 更新日:

宮城県遊協の竹田理事長。

「我々の原点、使命をいまこそ再認識すべき」

東北3県を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災から10年になる。被災地の現状や今後の課題、あるいはこれからの遊技業界に出来ることは何か。最も多くの被災者を出した宮城県遊協の竹田理事長に聞いた。

営業を待ち望む
ファンに元気をもらった

──東日本大震災から10年が経過しました。大切な人やモノを失った方々、被災された方々からみると、何年経とうが変わらない想いはあろうかと思いますが、改めて震災を振り返って想うことは何でしょうか。

竹田理事長(以下、略) 現在はコロナという大きな問題がありますが、震災は個人にとっても家族にとっても、また会社や社会、県や市町村にとっても大きなダメージを与えました。ある集落は根こそぎ破壊され、また家族や知り合いが亡くなったり、家が壊されたり、思い出も失ったりしました。

しかし、運良く生かされた我々は、前に向かって日々の生活を一歩一歩、少しずつでも進めることができました。もちろんそれは周りからの支援やサポートがあったからですが、自分たちが行動さえすれば、歩みは遅くとも停滞することなく進むことができたのです。それが、今のコロナ禍とは違うところですね。

震災では、心に深い傷やいろいろなことを抱えつつ、それぞれの人がそれぞれの立場、状況において、精神的にも日々の生活的にも、未来に向かって進んで行った。今年10年目という節目を迎えるわけですが、歳月に区切りというものはなく、それぞれがそれぞれの立場で今も一歩ずつ進んでいる状況だと思います。

そうしたなかで我々の業も、あの時は大変な思いをしながら営業の再開を目指し、実現したときには大きな喜びがありました。それは、それぞれのお店に再開を待ち望んでいてくれたお客様がたくさんいたからです。

事実、震災の年や翌年はかなりのお客様が足を運んでくれて、業績も従来より上向いていきました。お客様から「お店が開いてくれてよかった」、「営業を待ってたよ」という言葉を頂いたときは本当にありがたかったですし、元気付けられました。大きな被害を受けて諦めかけていた方もそうした状況をみて、再びやってみようという気持ちになることができたんです。

営業を再開することが
社会貢献になった

──当時の被災された方は本当に多くの悩みやストレスを抱え、息抜きを求めていたのですね。
避難所生活を送られた人は当初、広い体育館の床に自分たちの居場所を確保しました。何日か経つと、他人の目線が気になるということで段ボールなどで衝立を取り付けたんですね。そして行政がプレハブの仮設住宅を建て、そちらに移っていきました。仮設住宅に移った方は、個人の空間があることに大変喜んだそうです。

ところが、仮設住宅での生活が始まると、狭い、寒い、うるさいという問題が出てきました。プレハブですから壁も薄く、隣近所の音が気になってきます。従来の暮らしにはほど遠いんですね。

その避難所生活に加えて、被災者の多くは仕事を失っていました。仕事がないわけですから、仮設住宅にいるしかない。そうするとお互いにストレスがたまり、家庭内暴力や近隣の人たちとの争いなどが絶えなかったんです。

被災地ではそうしたいろいろな問題があり、「パチンコでも行きたいな」と思ってくれた人が数多くいたのだと思います。私がたまたま訪れた避難所でも「長いことパチンコには行ったことないけど、パチンコってそんなに面白いのか。周りにパチンコをしたいという人がいっぱいいる」などと声を掛けられました。

特にこれまでパチンコをやっていたファンはパチンコに行くことを待ち望んでくれて、再開を喜んでくれたんですね。震災でつらい思いをされた方はなおのこと来てくれました。

もちろん「こんな時にパチンコなんて」という声も一部でありましたが、こんな時だからこそ、救われるような思いでパチンコを打つ人も少なくなかったわけです。なかには被災者へ支給されたお金でパチンコに来られる方もいたと思います。

これには我々も考えさせられるところはありましたが、ただ、様々な悩みやストレスを抱えて、ちょっと心を休める場所、癒す場所としてパチンコが求められたのは間違いありません。

業界は被災地に対して、多額の義援金や救援物資の提供などを行なってきました。それはとても尊いことです。しかし、被災地の我々は営業を再開すること、お店を開けることが最大の社会貢献になっていたんです。このことは忘れるべきではないと思います。

県内の仮設住宅の
供給が昨年12月で終了

──現在の県内の復興状況はいかがでしょうか。
県下全域でみるのか、被害の大きかった地域でみるのかで違ってきますが、宮城県全体の経済指標では震災前を上回っていると思います。ただ、津波被害の大きかった沿岸部をみると、町全体が高台に移転したり、住民が他の地域に転居したりして、震災前の状況に戻っていない地域もあります。一度、人が離れてしまうとなかなか戻ってこないのが現実のようです。

県知事は復興の進捗について「仕上げの時期」という表現を使っていますし、インフラ整備や造成工事、護岸工事などはごく一部の場所を除いてほぼ終了しています。県内のプレハブ仮設住宅も昨年12月を以って全て無くなりました。9年経ってようやくですね。

──10年前は県内の店舗数は208店舗でしたが、現在は。
現在は県内180店舗を割っている状況です。震災の影響でお店を閉められたのは当時、それほど多くなかったと思います。個々の努力や頑張りで再開を目指されていました。

あるホール企業さんでは、経営する4店舗すべてが津波の被害を受け、経営者の方ももう駄目だと思ったそうですが、息子さんから、もう一度お店を再開させると言われて、営業にこぎつけたそうです。

そうしたお話を聞くと嬉しいですね。その他にも震災後に店舗を拡大された企業さんや、リスク管理の点から宮城県内だけでなく県外に出店されたところもありました。

この10年間で店舗が減った理由としては震災の影響というよりも、その後の業界の業況、ファンが減っている影響などではないでしょうか。震災からの復旧時期には営業を待っているお客様がいましたので、店舗の状況としては今のコロナ禍のほうが厳しいと感じています。

──今年2月にも宮城と福島で震度6強の地震がありました。県内の影響はどうでしたか。
組合員の店舗では、倒壊などの大きな被害はなかったですね。外壁や天井などが破損したり、安全確認のために一時的に休業したりしたところはありました。

今回は、震度も前回ほど大きくなく揺れの時間も短かく、広域な停電もなく、津波がこないという情報もすぐに出ましたので安心感はありました。ただ、私もそうですが、多くの方は揺れている間、前回のことが頭をよぎったと思います。

全国に広がった
行政との災害時協定

──震災を受けて、組合が取り組んだことなどはありますか。
震災の時、県外から復旧作業のために様々な方がきてくれました。そうした時に、緊急車両などを停めておく場所や瓦礫などを一時的に撤去しておく場所がなくて困っていたんです。我々のお店も、まだ電気が止まっていたりして営業ができずにいたのですが、勝手にお店の駐車場を使うわけにはいきませんでした。

そうした問題点が後になって分かり、そこで宮城県と連携して「災害時における支援協力に関する協定」を締結しました。

災害が発生した時は、一時的な避難場所や緊急車両の一時集結場所としてホールの施設や駐車場を開放したり、帰宅困難者にトイレや水を使ってもらったりするもので、こうした災害時の支援協定は、その後、全国的に広がっているかと思います。東日本大震災がそのきっかけの一つだったと認識しています。

県遊協の社会貢献としては震災以前にも県民の安全 ・安心に貢献している団体等への寄付などを続けてきました。震災の年はやりたくてもできない状況でしたが、余裕ができた翌々年(2013年)から再び始めています。ただ、今年はコロナの問題で組合費も減少していますし、例年よりも寄付金額は削減せざるを得ない状況です。

また、震災に関連するものでは、2019年2月に石巻市福貴浦を訪れ、津波到達地点に桜を植樹しました。これは震災の教訓と避難の目安を後世に伝えるというのが目的です。

独自のファン感で
地元の特産品を支援

──震災から10年が経ちますが、これから取り組みたいことはありますか。
災害時協定については時間の経過とともに忘れられがちですので、再度、組合員の皆さんに頭に入れておいてもらうようお願いしたいと思っています。時間とともにあの時に味わった気持ちも薄れてしまいがちです。特に余裕がないときはなおさらです。今はまさにコロナ禍の最中で震災のときよりも余裕がない状況かもしれませんが、当時のことを振り返る契機にしたいと考えています。

また、県遊協では今年から県独自のファン感謝デーを開催することを決めました。これまでは全日遊連と東北6県合同のファン感謝デーの2回でしたが、1回増えることになります。

開催は今年9月の予定で、このなかで賞品にはできるだけ県産品を増やしてもらうように幹事商社にお願いしています。被災した県内の沿岸地域には水産加工品などの特産品がたくさんあり、これらをファン感謝デーのセット賞品に加えることで、少しでも地域産業の振興のお手伝いができたらと考えています。

ファン感謝デーは組合員の各店舗にとっても集客効果がありますので、それを活用しながら、地域に貢献できることを期待しています。

──業界全体で東北3県に何かできることはありますか。
今はコロナの問題があるので支援の仕方も本当に難しいと思います。特に緊急事態宣言が出されてからは、東北に来てもらうことも難しくなりました。

もっとも、今は全国各地で異常気象や災害が発生し、川が氾濫したり、暴風雨で山が崩れたりしています。全日遊連もそのたびにお見舞金を出している状況で、これからどこでどのような災害が起きるとも分かりません。そうした状況下で、我々から何かお願いをするようなことはできないですね。

むしろ、これまで非常に多くの方々に支えていただき、我々の英気を取り戻したところをお見せしたいところなのですが、現在はコロナの影響でなかなかそうも言っていられないのが正直なところです。引き続きこれからもそれぞれで努力をしていくしかないと思っています。

本来あるべき姿を
考える必要がある

──東日本大震災の経験から学んだことや、いまの時代に伝えられることは何でしょうか。
震災は非常に大きな災害でしたが、我々はくじけることはありませんでした。それは再開を望んでくれるファンがいて、前を向いて努力することができたからです。そして近隣の方、県民の方、そのほか多くの方と支え合って生きていることに改めて気づかされました。苦しいぶん、みんなで協力し、肩を寄せ合い、地域と絆を深めました。

結局、人間は一人では生きていけませんし、商売をするにしてもお客様に支えられているわけです。コロナ禍では、人と人との距離が離れてしまいがちですが、その中でもやはり支え合いながら、お客様との関係を築いていくことが大切なんだと思います。そのためにもお客様の声や表情にしっかりと向き合うことが必要だと感じます。

それと同時に、先ほどもお話した通り、当時は営業を再開することが社会貢献につながっていました。神戸の震災の時も、殺伐とした危険な雰囲気を解消するために、行政からパチンコ店の早期の営業再開を後押しされたと聞きました。

つまり、人々の心を癒す、地域に灯りをともすということがパチンコの原点、本来の役割なんだと思います。業界はファンを減らし続けていますが、震災から10年を迎えた今、改めてパチンコに求められる本来のあるべき姿を考える必要があるのかもしれません。

2019年2月、石巻市福貴浦で津波到達地域に桜を植樹する県遊協役員等。

──店舗の存在自体が地域貢献になる必要があるということですね。
今、旧規則機の問題が業界にはありますが、我々が外したくない、利益が上がるといわれる遊技機がたくさんあった時ですら、お客様の数は減り続けていました。

要因には日本全体の人口減や高齢化、余暇に使える金額の減少、レジャーの多様化など、いろいろあるでしょうが、我々の業の在り方にも問題があったのではないでしょうか。決して「勝った負けた」だけではないんです。

特に今はコロナ禍で本当に苦しく、震災とは違った長期的なボディーブローのようなダメージを受けています。大変厳しい状況ではありますが、他のレジャーや娯楽にお客様を奪われないようにするためにも、我々の原点、使命をこの機会に再確認し、営業の在り方、人と人との関わり方を再考していくことが大事だと思います。そうすれば、お客様が震災を乗り越えさせてくれたようにコロナ禍もお客様が支えてくれるはずです。

◆プロフィール
竹田 隆(たけだ たかし)
宮城県内に5店舗を展開する株式会社マルタマの代表取締役社長。2011年の東日本大震災では経営する東松島市の店舗の一部が浸水したほか、他の店舗も甚大な被害を受けた。2008年宮城県遊技業協同組合の理事長に就任。

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