【インタビュー/私の道】亡き兄の遺志を胸に 父が築いた伝統守る
~株式会社高山商店 浜渕昭伎 代表取締役社長

投稿日:

PROFILE●はまぶち・あき
11月24日生まれ。4人兄弟の長女(兄と弟2人)。大学卒業後、大手飲料メーカーに就職。その後に20代で高山商店へ。母の急逝後、創業者の父を支える。2015年に代表取締役へ就任。趣味は読書。偉人伝記物好きでヒラリー・クリントンを敬愛する。ネイティブ英語も習熟中!

パチンコ設備として必須の存在である遊技椅子。そのパイオニア・高山商店の製品は、いまなおホールに愛され続ける。創業から色褪せない「究極の座り心地」を受け継ぐ浜渕代表の足跡を辿った。

高山商店の創業は1958年だが、遊技椅子誕生は「創業者である父・高山勝の学生時代である約65年前に遡ると聞いています」と浜渕代表。大阪出身の勝氏は、当時パチンコホールのアルバイトに励んだという。

まだ「立って手打ち」が常識のなか、勝氏は旺盛なサービス精神で「遊技客が疲れるだろう」と椅子を充てがった。「それがすごく喜ばれた」と本人から聞いたという。そして、これをキッカケに勝氏は一念発起。高山商店を立ち上げる。

大阪を出て、新天地でも成功
名古屋の地でメーカー化

創業時はメーカーではなく、販売代理店としてスタート。そのため、現在のような固定式はなく、パチンコ島に合うキャスター式のオフィスチェアなどが主流だったそうだ。

が、それでも椅子は快適性が上がり、来店客の滞在時間も上がると、導入が進んでいった。瞬く間に大阪全土、更に西日本で飛ぶように売れたそうだ。

「ただ(父は)母との結婚を機に、大阪を離れ、名古屋へ進出しました。大阪は活気がある一方、土壌が完成されすぎ、競争が激しくなることを予想していたそうです。だからこそ、途上にあった名古屋なら土地も安く、効率よくビジネスチャンスをつかめると予測し、拠点をかえたと聞いています」。

その60年〜70年代後半。名古屋に拠点を移してからも成功は続く。その最中、提案した床下固定式は爆発的にヒットを記録。その情報は、名古屋の地元経済紙に取り上げられるほど、独占状態が続いたという。

ちなみに当時の高山商店は従業員2名。幼かった浜渕代表も「学校を休んでまで家族総出で手伝い、父を支えました。今の時代なら後ろ指をさされてしまいますね(苦笑)」とも振り返る。

そして1979年。遂に自社開発に乗り出し、翌1980年に高山商店製造の第一号機『STU』が完成する。

この『STU』はロングセラーとなり、一流の遊技椅子メーカーとして全国にその名を知れ渡らせるまでの大成功を収めた。同時に、1989年開催の世界デザイン博覧会(別称:名古屋デザイン博)では、名古屋市が「パチンコパビリオン館に同製品を使いたい」と依頼。このトピックも追い風となった。

1990年代に入ると、遊技椅子メーカーにも競合他社が現れてきた。ただ、そんな中でも製品開発に対する努力は惜しまなかったという。いまや当り前の機能である椅子の「前後スライド式」も、この間に同社から生み出されたという。さらに1994年には兄・徳治氏が新製品『TK-Z5200』を開発、毎年約3万脚(計約50万脚)を出荷する大ヒット製品も生んだ。この製品は見た目も機能も、いまの原型と浜渕代表は語る。

2000年代に入り、浜渕氏も高山商店に入社。兄・徳治氏が社長に交代するなども大きかったが、もっと大きく本社が活気付くことがあった。

「大手ホール企業の役員の方々が直接視察にいらっしゃったんです。座り心地や機能を吟味し、導入を決めていただきました。父も大口契約に興奮がしばらく収まらなかったですね(笑)」。と回想する浜渕代表の声も弾んだ。

高山商店のターニングポイントになった製品群。高山の頭文字「T」をモチーフにした第一号製品『STU』、いまの遊技椅子の原型となる『TK-Z5200』など、遊技椅子の歴史語る上で欠かせない。

母・兄の急逝で
痛感する家族の偉大さ

順風満帆な状況から一転したのは2008年。家族を支えた母が亡くなった。65歳の若さだった。

「そこからです。父が、兄と私を頼るようになったのは…」。その悲しみの渦中では、販売体制の見直し(営業拠点の一本化)や、兄の独立による浜渕氏の代表就任──など、浜渕代表が乗り越えた波も大きかったという。

そうした中でも代表として、舵を切ったのはブランディング戦略だ。それは父や兄が築いた「伝統(究極の座り心地)」を守り、その商品力を高めるための広告宣伝だという。

元プロ野球選手・入来祐作氏の起用は、入来氏の奥様が友人ということで好意的に協力を得た。さらに市内の街灯広告掲出、テレビCMの放映など、いまも意欲的に展開する。業界関係者でも東海道新幹線(下り)で名古屋駅到着直前、右手に見える大型看板を記憶している方は多いのではないだろうか。

その最中、2020年6月に今度は兄・徳治氏が急逝した。ヒット作を生み出し、父をともに支えた兄の急逝は、心身ともにこたえたそうだ。

一方で、「家族の力は偉大でした。私ができるのは遊技椅子を通し、アミューズメント業界を元気にし、社会貢献に繋がる企業になることだと想いました」とブランディングにかける気持ちを力強く話す。だからこそ逆風の中でも、翌21年はSDGs宣言(持続可能な開発目標)、今年2022年には東海地区企業初のカーボンニュートラル(脱炭素)への取り組みと、迷いなく進んでいく。

いまは現場に出られない父の想い、そして亡き兄の遺志を胸に、これからを繋ぐサステナブル企業として、浜渕代表は歩む速度を緩めない。

本社工場の模様と愛知県SDGs登録証。座り心地、地球環境への配慮、プロ人材の育成に加え、女性活躍の職場環境作りに取り組むなど、持続可能な開発目標(SDGs)に繋がっている。

いつもデスクの傍には、兄・徳治氏(写真左)を想い、2人の写真が飾られている。

株式会社高山商店
http://isu-takayama.com
【所在地】愛知県名古屋市港区藤前1-1174
【設立】1958年10月
【従業員数】8名(2022年3月)
【事業内容】椅子縫製加工・椅子設置及び施工工事一式・不動産の賃貸・ 全屋号に附帯する一切の業務

-企画, 業界ニュース
-,

© 2024 グリーンべると(パチンコ・パチスロ業界メディア) Powered by AFFINGER5