【コラム】20年経っても色あせない『アレックス』の価値

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『アレックス』が体現した普遍的な面白さは、令和の今も通用します。そこには機種選定に求められる「核心」が存在しています。

『アレックス ブライト』が導入されてから高稼働を維持し続けています。私は以前から「液晶機登場前の4号機時代から、パチスロは本質的な進化をしていない」と考えていました。そして今、その確信をより強くしたのが、『アレックス ブライト』の登場です。私にとってパチスロの完成形は、すでに4号機時代の『アレックス』によって到達していたからです。

クランキーからアレックスへ

4号機初期の『クランキーコンドル』は、リール制御やリプレイハズシによって「操作と結果が直結する感覚」を生み出しました。ここからパチスロは「遊ばされるもの」から「自分で参加するもの」へと変わっていきます。

続く『サンダーV』や『バーサス』『花火』は、予告音・消灯・フラッシュといった演出で視覚や聴覚を刺激し、プレイヤーに“違和感を察知する楽しさ”を与えました。そしてその集大成が『アレックス』です。出目の美しさ、停止音、光と消灯の法則性、予告音との矛盾。液晶に頼らずとも成り立つ、完成された設計美がそこにありました。
液晶は説明であり体験ではない

液晶機の普及により、物語演出や期待度表示が主流となりました。それ自体を否定するつもりはありません。しかし、それは「情報を与えられる体験」であり、どうしても受動的になりがちです。

人間は「自分で気づく」ことで強い快感や記憶の定着を得ます。心理学的にも、答えを提示されるより、自分で違和感に気づき推理する方が「ドーパミン的報酬」が大きいとされています。

昔の遊技機はまさにその構造を持っていました。違和感を察知し、矛盾を読み解き、自ら答え合わせをする。その主体的な関与がプレイヤーの感情を動かし、パチスロ本来の面白さへとつながっていました。 そしてそれは、遊技を重ねるほどに新たな気づきや快感を生み、「打てば打つほど面白い」という継続的な遊技意欲へと結びついていったのです。

進化とは派手さではなく設計

いまのパチスロは確かに演出も出玉性能も大きく進化しています。しかし、その一方で「自分で参加する喜び」が薄れてしまっているように思います。パチスロの本質は「感じること」にあります。

人の「面白い」と感じる感覚の本質は、20年前と大きく変わっていません。だからこそ、私は『アレックス』を超えるパチスロにまだ出会っていません。進化しているように見えて、本質的には進化していないのです。なぜなら、「完成形」は20年以上前にすでに存在していたからです。パチスロは「見るもの」ではなく、「感じ、参加するもの」です。その真理を教えてくれたのが、『アレックス』なのです。

現状でも違和感演出は多数あります。しかしそれらの多くは、自分で気づくものではなく「提示されるもの」へと変わってしまいました。「待つ」だけの演出となり、さらに注意を向ける箇所が増えすぎたことで、違和感に気づくには事前知識や経験が必要になってしまっています。かつて自然に「察知できた快感」が、今は「知っていないと味わえない演出」へと変質しているのです。

機種選定で本当に求められるのは、派手さや話題性に流されず、「本質的に面白い」を見抜ける力だと思います。その力こそが、長く遊ばれ、ホールに根づき、そしてプレイヤーに愛される機種を見極める唯一の道しるべであり、これこそが機種選定の「核心」であると私は考えます。

◆プロフィール
小島信之(こじまのぶゆき)
トビラアケル代表取締役

2018年まで首都圏、静岡、大阪に展開するホール企業で機種選定を担当。2019年に独立し、その分析力を活かしエンタープライズの全国機種評価等を開発。現在はメーカーの遊技機開発、ホールコンピュータの機能開発など、幅広い分野に携わり、変態的なアイディアを提供している。馬と酒とスワローズをこよなく愛する。

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