解散の理由について吉田氏は、「パチンコ業界の将来を憂い、立ち上げた検定機構ではありましたが、戦後60年もの歴史がある業界ではあるものの、その未成熟さ故に業界全体の総意として支持を頂くことができず、解散に至った次第でございます」としている。
検定機構は名古屋でパチンコチェーン「玉越」を展開する高木一夫会長(当時)の呼びかけで2010年1月に設立した。同年5月に指定試験機関指定申請書を国家公安委員会に提出。同10月には申請書受理までこぎ着けたが、翌2011年4月になって不許可を通知された。
不許可理由は高木氏の存在。検定機構の理事長に就任していた高木氏は、パチンコ店を経営する立場で指定試験機関を目指すのは適当ではないとして10年4月に玉越会長を辞任。申請書提出に臨んだ。
申請書は正式に受理されたが、会長辞任後も玉越の代表取締役を高木氏の夫人が務めていたことや、同機構の資産の大半を高木氏が拠出していたことなどから国家公安委員会は今年4月に不許可を通知していた。
これを受け高木氏は検定機構の理事長を辞任。新理事長に元・名古屋市議会議員の吉田伸五氏を迎える一方、検定機構の5億円の基金に対する高木氏の拠出分を10分の1以下に薄めるとともに、業界関連企業を中心に出資を募る方針に転換を図っていた。
検定機構では、いわゆる第2保通協を目指し、唯一の指定試験機関である保通協とのあいだに市場原理に基づく価格(試験料)競争の導入を図ることで高騰する遊技機価格の引き下げを少しでも前進させたい方針を掲げていた。